天然痘ウイルス

講演会(演題:「長崎で思い起こす人:シーボルト、長与俊達、千々石ミゲル」)

[日時]令和5年10月24日
[講師]加藤 茂孝(かとう しげたか)氏
[場所]長崎県東京産業支援センター1階会議室

令和5年10月24日(火)、18時00分より県人クラブ1階で秋の講演会を開催しました。

加藤茂孝氏はウイルス学が専門の科学者です。国立感染症研究所室長、米国CDC客員研究員、理化学研究所チームリーダーとして感染症の研究、対策に尽力されてきました。人類の感染症の歴史についての著書も上梓されています。
16~19世紀、長崎は日本の科学・文化の窓口でした。長崎と言えば科学の分野ではすぐ思い起こされるという「シーボルト、長与俊達、千々石ミゲル」の3人についてお話しいただきました。
出席者は29名でした。

加藤茂孝講師

▲講師の加藤茂孝氏。三重県のお生まれですが、千々石ミゲル墓所調査プロジェクトの顧問を務められ、長崎と深い関わりを持たれています。


演題

▲出島のオランダ商館の医者として来日したシーボルト、大村藩の藩医で長崎で西洋医学も学んだ長与俊達、天正遣欧少年使節の千々石ミゲルの3人についてお話しします。


シーボルト

▲シーボルトは出島のオランダ商館の医者でしたが、オランダ人ではなく南ドイツの貴族出身のドイツ人です。
1823.8~1828に来日時の肖像画はお抱え絵師、川原慶賀の絵です。1859~1862.5の2回目の来日時の肖像画として、イタリア人、キヨソネ作の銅版画が残っています。
70歳まで生き、当時としては長生きでした。


シーボルトの著作物

▲シーボルト事件で追放され、オランダに帰国した後、日本研究の大著「日本」を出版しました。高橋景保の日本辺界略図(ドイツ語訳)は帰国後まもなく出版されています。テミンクの「日本動物誌」のトキ(IBIS NIPPON)はシーボルトが持ち帰った剥製から描かれました。


楠本滝・イネ・高子

▲シーボルトは妻と呼んでいる楠本滝(左)。当時、出島に出入りできるのは遊女だけで、遊女名は其扇(そのぎ)といいました。シーボルトとの間に生まれた楠本イネ(中)は、日本初の女医です。不幸にも強姦されて生まれた子が楠本高子(右)で、シーボルトの孫になります。シーボルトの次男のハインリヒは日本人と結婚しましたので、現在、日本には楠本イネ家系とハインリヒ家系のシーボルトの子孫がいます。


シーボルト事件

▲シーボルトは、伊能忠敬が作った地図を持帰ろうとして国外追放になりました。その原因になった地図は、高橋景保から西洋の地図と交換に手に入れたものです。高橋景保は捕らえられ獄死します。
上野の源空寺に高橋景保、景保の父で忠敬が尊敬する至時と伊能忠敬の墓が並んであります。


長与俊達

▲長与俊達は、世間にはあまり知られていませんが、本当に立派な人でした。
牛痘が出島に入るのを待ち、人痘接種を初めて取り入れた先覚者です。
天然痘という名前を付けたのは長与俊達で、それまで疱瘡、痘瘡と言っていました。予防接種の種痘ではなく、自然にかかった場合を天然痘と言います。


天然痘ウイルス

▲人類を一番多く殺したウイルスは天然痘で、死亡率は50%にもなります。写真は3200年前の天然痘とわかるミイラです。今はDNA検証が可能なので、私はそれをやってたいと思っています。
大村藩で痘瘡が出た場合は、罹患者を隔離地に移して、殿様を天然痘から守っていました。
大村は痘痕の人が少なく、美人が多いのです。


種痘の普及

▲出島の医師、モーニケが持込に成功した牛痘苗は長与俊達や楢林宗建に渡りました。長与俊達は5人の子供の種痘に成功しました。
当時は植え継ぎの苦労がありましたが、京都の日野鼎斎から緒方洪庵や笠原良策に伝わり、種痘が広がっていきました。


千々石ミゲル

▲千々石ミゲルは天正遣欧少年使節の一人です。後にイエズス会を脱退しましたが、棄教したのではなく潜伏キリシタンでした。


遣欧少年使節

▲遣欧少年使節はヨーロッパに行った最初の日本人です。
写真はドイツのアウブスブルグでグーテンベルグ印刷機により印刷された遣欧少年使節団のニュースポスターです。

墓石発見

▲私が千々石ミゲルに関心を持ったのは、大石一久氏の著書、「千々石ミゲルの墓石発見」という本が出版されたからです。

ミゲルの墓

▲発掘調査で墓の状態から、千々石ミゲルは潜伏キリシタンで「信仰を全うした」と確定しました。

資料発見

▲おもしろかったのは、発掘直後に大石先生が大村藩資料館で見つけたこの資料です。
疱瘡という字が5人、痘病と書いてあるのが9人、全部で14人が疱瘡で死んだことが書かれています。

ミゲル発熱

▲松田 毅一著「天正遣欧使節」には千々石ミゲルはトレードについた日、発熱し無数の疱瘡が現れて重症になったが、名医と修道院あげての治療で病が癒えたと記されています。
疱瘡かもしれないし、麻疹だったかもしれません。

セミナー

▲千々石ミゲルの墓か遺骨で天然痘ウイルスの遺伝子DNAを見つけることが出来るのではないかと思っていて、調べることができたら嬉しいです。そのことを詳しく話すセミナーをzoomでやりますので興味のある方はご連絡ください。

懇親会

▲講演会終了後、「まうまう」で懇親会を開きました。

乾杯

▲西岡秀子議員の乾杯の音頭の後、長崎料理を楽しみました。

(撮影:井上早苗)